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『推し、燃ゆ』を読んだ。

辛そうな痛そうな話なのに、どこか軽快で、自覚のなさそうな文章に惹かれて読みたいと思った。初出が2020年秋季号の文藝で、当時21歳の宇佐見りんさんが書かれたのが『推し、燃ゆ』。

 
推しと言える推しがいないし、オタクというには熱心さに欠ける私なので、どこまで主人公に寄り添えるかなと心配しましたが、杞憂でございました。「やりたいことしか出来ない」感じが、身に覚えありすぎる。やらなきゃいけないことが全然やる気でないし、ポンコツになるんだよね。私の場合は大学生の時そんな感じで、就職活動に惨敗したタイプの人なので、あかりは自分だけで気付けて偉いなぁと感心すらしてしまった。四つん這いでしか進めない時期、片付けられない時期が、少なくない人にはあるんだろうなと、過去の自分を励ますような気持ちになりました。
 
もう一つ、ADHD/ASD併発タイプの人と一緒に暮らしいているということもあり、何というか「親が向き合いきれない」ということに怒り半分と共感半分が湧いてきた。ウチの場合は、割と支援に辿り着きやすかったけれど、自分たちで気づいて求めない限りはそこに辿り着くことはなかったのはハッキリしている。情報を探し回り、学校などに相談しまくり、やっとそこを選択するまでに至った。正直大変だった。私が運良くジョブチェンし、色々融通が効いたからなんとかなったが、普通にパートナーともども会社員ともなるとシンドい話をだと正直思う。それにプラス、学校側の話を聞いていると「親が望まないと支援には辿り着けない」のだと。あかりの両親は求めたのかな?学校にはそもそも支援級があったのだろうか、地域の支援はどうなんだろう?いろんな疑問が湧く。
 
最初の読み応えから思うと、リーチの範囲が広く、それに驚かされた。10代の子の話なんて私にピンとくるのだろうかと思ったけど、ダメな若き日の私(今もか?)と、なんとか親やってる私にもあかりの「遅さ」が胸に来る。痛々しい話ならついていけるかなと思っていたけど、痛々しさよりもあかりの冷静さやクレバーさの後からやってくる出来なさに胸が締め付けられた。
 
最後にあかりちゃんの好きなところを書こう。推し方は人それぞれだと思っているところが好きです。